障害者の支援員でもケアマネになれる?理想の働き方を叶えた体験談
私が北海道の介護業界で最初に転職したのは約7年前になります。
知的障害者への生活・就労の支援の仕事から、居宅介護支援事業所における介護支援専門員(ケアマネージャー)としての転職でした。
その後、3回の転職を経て、現在も居宅介護支援事業所での介護支援専門員の仕事をしています。
この記事は介護業界で相談支援職への転職を検討している方に読んでもらいたいです。
障害者の支援員から転職したのはスキルアップと家族
転職に至った原因として、特に何か辛いことなどがあって耐えきれずに転職をしたというわけではありません。
前職の知的障害者支援に従事していた法人で、介護保険の訪問介護事業所を兼務していたことや、障害者も高齢化の波がきていた事。
介護保険の知識を深めるために5〜7年間は介護保険業界に身を投じたいという思いで介護支援専門員の資格を取得し、介護業界で初めての転職をしました。
涙をながしながら退職
しかし、約10年間働いていた法人だったこともあり、10年にわたり関わった利用者との別れが正直辛かったです。お別れ会の際にはさすがに涙を流しました。
そして、関わっていた全利用者についての引き継ぎは行いましたが、その中で特に将来が心配な利用者が多数…。
そのような利用者の引き継ぎについては支援・調整のアドバイスも含めて引き継ぎを手厚く行いました。
妻と子供のために
介護保険を学びたいという思いから介護支援専門員の資格取得。加えて妻の妊娠がありました。
そして、子どもの教育のことなどを考慮し、地方から都市部への転居を決めました。
また都市部ですと介護支援専門員の求人がハローワークで10ヵ所以上もあり、仕事を探すのも比較的安易。
最初の介護業界への転職先として思い描いていた「医療との連携が多く経験できるような居宅介護支援事業所」はすぐに見つかりました。
障害者の支援員を経てついに始まったケアマネ人生
最初の転職先は病院内に併設されている居宅介護支援事業所で、介護支援専門員として働いていました。
対象者が知的障害者から介護保険利用者へ変わったことで、確かにすべてが異なるということではない。
しかし、新たな経験などが多々あり、転職して最初の2〜3ヵ月はほぼ毎日疲労困憊でした。
毎日が目まぐるしい日常
当時働いていたのは、急性期ではない病院内併設の居宅介護支援事業所。
それでも障害分野では経験をしたことがないような、いつもピリピリとした独特の緊張感がありました。
外来・入院病棟との看護師や医療ソーシャルワーカーとのやりとりは日常的。
医師との直接のやり取りもあり、いつもゆったりと時間が流れていた転職前の職場と比べると、独特の緊張感に包まれながら目まぐるしく働いていました。
医療現場の仕事は貴重な体験
そんな目まぐるしい日々の業務において、時にはストレス過多な状況などもありました。
それでもたくさんの知識などを獲得できたことは多く、働いていた病院には今でも心から感謝しています。
その時に学んだ医療面の知識や医療との連携については私の礎の一部となっており、日常業務のみならず普段の生活の中でも役に立っていますね。
障害者の支援員から包括のケアマネへ転職
その次の転職先は、医療法人で運営をしている地域包括支援センターで、介護支援専門員として従事していました。
医療法人が市の委託で運営しているセンターということで、高齢者関係はもちろんのこと多方面にわたった情報が常に集まってくる場。
その情報に触れるだけでも介護保険関係などの知識が毎日のように深めることができ、とてもやりがいを感じながら日々の業務にあたっていました。
包括支援センターでは生活に寄り沿う制度を知る
地域包括支援センターは地域における介護保険の中心を担っている場所。
介護支援専門員として勤務する中で、実際の業務内容や日々の対応や介護保険やその周辺の制度などについても学ぶことができました。
もちろんここで学んだことも、現在の日々の業務にとても役立っています。
職場の雰囲気は病院とは異なり、殺伐としてはいなく比較的穏やかな雰囲気。
毎日相談が舞い込んできて忙しさはかなりありましたが、ゆったりと働くことができていました。
3か所目は介護老人保健施設のケアマネ
そして、3回目の転職では介護老人保健施設で入所部門の支援相談員としての配属になりました。
実は妻が勤めている職場で、どうしても支援相談員が充足されないということでの転職でした。
組織としては医師を頂点に、看護師やリハビリ職などの医療職と介護職や事務職がいて、ほとんど病院のような所。
殺伐とした中で常にベッドコントロールを担う相談員としてのプレッシャーがかかる毎日でした。
プレッシャーが一番多かった
ここでは入所部門の支援相談員として働いていましたが、正直一番落ち着かない職場でした。
なぜなら、ベッドコントロールを担当しており、看護部門や事務部門から毎日のようにプレッシャーを受けていたからです。
そんな中で唯一楽しむことができたのは、時折開催される夏祭りなどの季節行事で仮装をして司会をできたことです。
その時だけは中心的な役割を担うことが多く、自分が好きだったこともあったので、行事を楽しみになんとか相談員を続けることができていました。
障害者の支援員から4回目の転職でやっと理想の職場へ
そして4回目の転職で介護老人保健施設に併設している居宅介護支援事業所に就職しました。
ここは自宅から歩いて行けて、給与面でもある程度満足のいく職場への転職。
採用の連絡を受けた時にはとても嬉しくて思わずガッツポーズをしたことを今でもはっきりと覚えています。
やっと見つかった理想の環境
この居宅介護支援事業所は、常にゆったりとした雰囲気。
自分のペースで働くことができており、かつ自宅から歩いて行けるような距離。
家事・育児が忙しい現状からすると、本当に理想的な職場でした。
介護士の転職は自分の理想を探すもの
私は介護職の転職を勧めたいと思います。
ただ、すでに自身が重視している点に満足ができている方には特に勧めたいとは思いません。
さまざまな経験を希望していたり「今よりも満足できる職場に勤めたい」というような前向きな転職は意味のあるものだと思います。
しかし、あらゆる点で満足ができている職場にすでに勤めているにもかかわらず、興味本位などで転職をすることは、その方にとって後ろ向きなものになってしまうからです。
向いてないと思ったらリタイアも…あり
向いている人は、まず人と関わることを苦手としていない方だと思います。
人の相談に乗るような仕事をしていると、明らかに他者とのコミュニケーションに慣れていないスタッフを見かけることがあります。
あえて苦手な仕事をして、その苦手を克服する糧にするということも考えられるかとは思います。
ただ、対象者は困っているから相談をしているわけで、その困っている対象者に対して、うまくコミュニケーションをとることができていないと、対象者の不安を煽ることにもなりかねません。
実際にそのような対象者を過去に何人も見てきていますので、他者とのコミュニケーションを苦手としている人は、この仕事は向いていないと思います。
介護士の転職は自分を高める学び
これまで家族や周りに自分のわがままを押し通した形で数回の転職を経験してきました。
ただ、その経験については全く後悔はしていません。自身が望んで経験したことですし、それらの経験は今の自分の人生の糧になっています。
仕事についてはもちろんのこと、いろいろな人との出会いもありさまざまな思考や人間味に触れることができ、たくさん勉強をさせてもらいました。
たくさんの経験を積めたからこその決断
そして実は、介護業界歴が7年くらいになり、介護保険については十分に学ぶことができたので、障害分野に戻り、残りの人生を障害者支援に注ごうと考えています。
この約7年間学んだことも含めて、自身が今まで培ったすべてをかけて最後の転職をします。
転職は履歴書・職務経歴書の作成、事前の事業所見学や面接日の調整、職場が全く別な場所になることも含め、それなりにエネルギーを要するイベントになります。
それらを含め、転職を自身の人生の糧にしたいと思う方はぜひ転職をしてみてはいかがでしょうか。